1. 告白 — この枠組みは、AIの「人違い」から生まれた

「バグは見つけ次第、潰すべきだ」。エンジニアリングの世界では、これは疑いようのない正義とされています。検証とは、ブレを消すための工程だからです。ところが、ポケモンで最も愛された一匹「ミュウ」は、バグを潰さなかったことから生まれました。そしていま私は、このサイトで同じことを意図的にやろうとしています。

実を言うと、この記事の枠組みそのものが、ひとつの「言い間違い」から生まれています。まずはその告白から始めさせてください。

ある日、私はAIに、二人の皮肉屋 — ジャーナリストのピーター・ヒッチェンスと、広告界の異才ローリー・サザーランド — の対話の分析を指示しました。ところがAIは「ピーター」を取り違え、あろうことかピーター・ドラッカーを指南役として、全く別の対話を生成してしまったのです。完全なバグです。

普通なら「違う、ヒッチェンスだ」と訂正して終わりでしょう。でも、その取り違えが生んだ配置 — 先走る八つぁん(ヒッチェンス)と熊さん(ローリー)を、ご隠居(ドラッカー)が一言で落とす — を見て、私は思わず笑ってしまいました。これは落語の「ご隠居もの」そのものではないか、と。

私は訂正しませんでした。代わりに名前を与えました。「ドラッカー長屋」。そして、それを繰り返し使えるひとつの仕組みとして世に出しました。バグが勝手に第三の人格=サゲ役の賢者を追加したことで、かえって構造が完成してしまったのです。

つまり、これから書く「バグを育てる」という話は、机上の理屈ではありません。この記事の枠組み自体が、その産物です。私の小さな生態系で最初に捕まえた、一匹目のミュウなのです。

2. 「いいループ」は、収束しない

ここ数年、AIの使いこなしの重心が静かに移っています。最初はプロンプトエンジニアリング(「何と言うか」)。次にコンテキストエンジニアリング(「何を渡すか」)。そしていまは、ループ/ハーネスエンジニアリング(「どんな仕組みを建てるか」)へ。人間が一発の指示を打つ役から降り、「生成→実行→検証→フィードバック→再生成」を自走させる系を設計する役に回る、という流れです。人間は in the loop(いちいち確認する)から on the loop(必要な時だけ舵を取る)へと移っていきます。

ここで、多くの人が立ち止まらずに通り過ぎてしまう、大事な分かれ道があります。ループには二種類ある、ということです。

ひとつは制御ループ。ゴールに向かって誤差を消し、答えへ収束させます。効率化の系であり、いまや誰でも建てられます。もうひとつは生態ループ。決まったゴールに収束させるのではなく、知が予期せぬ方向へ分岐・増殖していくのを許す系です。前者は最適化し、後者は繁茂する。同じ「ループ」でも、向きが逆を向いています。

そして、面白いアイデアが生まれるのは、たいてい後者のほうではないでしょうか。

3. ミュウは、消さなかったバグだった

ポケモン『赤・緑』の開発最終盤。カートリッジの容量はすでに満杯でした。プログラマーの森本茂樹氏は、デバッグ用の機能を削除します。すると、わずか300バイトの空きが生まれました。彼はそこに、幻のポケモン「ミュウ」をこっそり滑り込ませます。任天堂からは「デバッグ後はコードに一切触るな」と厳命されていましたから、これは規則破りの賭けでした。

ミュウは本来、プレイヤーが入手できない隠し玉でした。ところが、予期せぬバグによって、ミュウはプレイヤーの前に現れてしまいます。ここで普通の組織なら「不具合」として塞ぎにかかるところです。けれどゲームフリークは違いました。コロコロコミックの配布企画に仕立て、バグを増幅したのです。結果、ミュウは伝説になり、シリーズ全体を牽引する象徴になりました。

一方で、同じ作品にはもう一匹の有名なバグがいます。「けつばん(MissingNo.)」です。こちらはセーブデータを壊す危険なグリッチで、放置・回避されました。

ミュウとけつばん。どちらも、もとは同じ「バグ」です。違いはたった一点 — 名前とカードを与えて世に出したか、無名のまま放置したか。それだけでした。

4. この生態系で飼っている「バグの池」

いまあなたが読んでいるこの Biotope は、知を意識的にも無意識的にも増殖させる、小さな生態系の試みです。AIと人間のやり取りが生む副産物 — 的外れな出力、言い間違い、思いがけない連想、ときにはAIのハルシネーションすら — を、すぐに消さずに「バグの池」へ溜めています。

これは効率化の発想とは正反対に見えます。実際そうです。制御ループにおいてバグは「潰すべき対象」ですが、生態系においては、バグ=変異こそが進化のエンジンになります。生物の進化が遺伝子のコピーミスから生まれるように、新しい知は「正しく書こうとした計画」の外側、つまり取り違えや偶然のほうから立ち上がってくるのです。

エンジニアリングが必死に消そうとしているものを、ビオトープは意図的に飼っている。バグは欠陥ではなく、素材だということです。

5. 監視者ではなく、庭師

ここで、ローリー・サザーランドの言葉を借ります。広告の世界にいち早く行動科学を取り入れた人物で、人間の非合理やグリッチを資源に変える逆説を語り続けてきました。ミュウの物語は、まさにその実例になっています。

人間は合理的ではない。そして、それは欠陥ではなく機能である。

— Rory Sutherland『Alchemy』(要旨)

庭師の仕事は、検証ではなく選別

ただし、生態系である以上、油断すれば外来種に侵食され、ただのノイズの藪になってしまいます。ですからビオトープに必要な人間の役割は、制御ループの「監視者(overseer)」ではありません。「庭師(gardener)」です。何を生かし、何を間引くか。やることは検証ではなく、選別です。

そして庭師の核心は、ミュウとけつばんを分けた、あの一線にあります。無名のグリッチはけつばんのまま。名前を得たグリッチが、ミュウになる。両方ともバグです。違いは「名前を与えて増幅したか/放置したか」だけ。命名と公開こそが、バグを資産に変える儀式なのです。

6. 「バグの池」を持つための三つの作法

では、明日から自分の組織でどう飼えばよいのか。ミュウの物語は、そのまま設計図になります。

① 余白を、意図的に残す

ミュウは「最適化して埋め尽くした場所」ではなく、デバッグで生じた空きから生まれました。すべてを目的で埋めた系には、ミュウの座る席がありません。ドラッカーの「体系的廃棄」を、私は「捨てて、空ける」と読み替えています。増殖の前提は、まず余白の確保です。

② 規則を一つ破る種を、仕込んでおく

森本氏の越境がなければ、ミュウは存在しませんでした。誰かが「触るな」を破れる余地を、系のなかに残しておく。完全に統制された場所からは、何も生まれません。

③ 現れたバグを潰さず、名前をつけて世に出す

AIやループが吐く的外れな副産物を消さずに溜める「バグの池」を持ち、定期的に庭師として「これはミュウか、けつばんか」を選別します。ミュウと見たら、名前を与え、世に出す。けつばんと見たら、静かに沈める。

効率化のループは、いまや誰でも建てられます。けれど、増殖する知を飼い、その中からミュウを見分けて名前をつけられる組織は、まだ稀です。差別化は、収束する系ではなく、繁茂する系の側に宿るのではないでしょうか。

おわりに — まだ名前のないミュウ

あなたの会社のサーバーにも、ログにも、ボツ案のフォルダにも、いま「けつばん」が眠っているはずです。容量を食うだけの、消すべきバグに見えるもの。

問いはひとつです。そのなかのどれかは、まだ名前をつけられていないミュウではないでしょうか。